きみは赤ちゃん 川上未映子の感想と内容【ネタバレ・試し読み】ブックレビュー

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きみは赤ちゃん 川上未映子 レビュー 感想保健師のお仕事

「きみは赤ちゃん」は、「乳と卵」で芥川賞を受賞した川上未映子先生の、ご自身の妊娠・出産・育児の体験をもとにしたエッセイです。

きみは赤ちゃん

妊娠中のぼんやりした頭、つわりのしんどさ、産後の眠たい中ハイになって授乳を続ける毎日。
なにかと調べて不安になり、思うようにいかなくて、息づまるけれどそれでもやっていかなければならなかったり。
赤ちゃんをただ見ているだけでしあわせ一杯になったり、かと思えば、いつまでこんなに可愛くてそばにいてくれるのと悲しさを行ったり来たり。

妊娠出産は一人ひとりストーリーがあって、全部をまとめられるものではないけれど。
うまく言葉に表せなくて、胸にいっぱい溜まったままの、それでも残しておきたいこころの中を代弁してくれているようで、
読み進めるうちに「わたしもこうだったな」「あ、あの気持ちは文字にするとこういうことだったのか」とだんだんと頭が整理されていって、
この本に我が子が一歳になるまでに出会えて本当に良かった、ありがとう、という気持ちになりました。
どんな育児書やSNSを見るよりも、しっくり落ちつきました。

いま妊娠中、赤ちゃんを育てている方はもちろん、育児がひと段落したor反抗期子育て真っ只中の方も、この本を懐かしい気持ちになる。
いつか子どもがほしい、という人が読むにはすこし現実的すぎるかも。育児は幸せだけではなく、光も影もあるから。
そして何より、子どもが世界一かわいいってこと以外はどうしたって私の気持ちを共有できなかった、夫にも薦めたい一冊です。

文庫本もあります。ひそかに、続編も楽しみにしています。

以下は、わたしが気に入った文章の抜粋です。

わたしの意志、私の都合で、生まれてくる誰かが、いるんだな。

それがどんな性格をした、どんな人なのかはわからないし、厳密にいえば、わたしは「誰か」を生むかもしれないけど、「その子」を生むわけではないわけなのだけど(このへんのこの実感、ちょとややこしいけれど)、でも、わたしが生まなかったらはじまらなかったものが、あと2カ月すると、はじまってしまうのだ。そして、おたがいに、もう後もどりはできないのだ。わたしは二度と、生まなかったことにはできないし、赤ちゃんのほうだって、生まれてこなかったことには、できないのだ。

わたしはいま自分の都合と自分の決心だけで生んだ息子を抱いてみつめながら、いろいろなことはまだわからないし、これからさきもわからないだろうし、もしかしたらわたしはものすごくまちがったこと、とりかえしのつかないことをしてしまったかもしれないけれど、でもたったひとつ、本当だといえることがあって、本当の気持ちがひとつあって、それは、わたしはきみに会えて本当にうれしい、ということだった。

目のまえの、まだ記憶も言葉ももたない、目さえみえない生まれたばかりの息子。

誰がしんどいって、この子がいちばんしんどいのだ。

おなかのなかからまったく違う環境に連れてこられて、頼るもの、ほしいものはわたしのおっぱいしかないのだ。

こんなふうに両手にすっぽりとそのからだのぜんぶを抱っこできる時間なんて、この子の一生からみてみればあっというまに違いない。

深呼吸して、顔をみよう。生まれてきた赤ちゃん。手足。

目もみえない、言葉ももたない、自我もない、それが生まれたての新生児だったりするとなおそうで、母親はどうも赤ん坊というものを自分の身体の延長にあるようにとらえてしまうものなのかもしれないね。(略)

知らないあいだにわたしのなかにあった、その「赤ちゃんはわたしの身体の延長なの」的感覚を、意識して排除することにした。

そしてくりかえすごとに、確実になにもかもが悪くなっていった。オニはいい。オニはわたしが生んだ、わたしの赤ちゃんだもの。なにがあってもオニはわたしが守るし、なにがあってもわたしが一緒に生きてゆく。しかし、あべちゃんは他人である。それなりの縁はあったかもしれないけれど、しかしれっきとした他人である。なぜ、こんな状態のわたしが大人であるあべちゃんの食べるものを作らなければならないの。わたしはあべちゃんの母親ではない。(略)

大事なことはなにひとつわかりあえない男という生きものと、なぜ一緒にいなければならないのだろう。もう男のご飯など作りたくない。顔もみたくない。そんなことばかりを考えながら、木べらを握り、フライパンの中でトマトを潰し、からあげを揚げ、炊き込みご飯を盛り、魚を焼き、怒りと溜息で胸をいっぱいにして泣きながらわたしは料理しつづけた。そう、この時期は、あべちゃんが、というより、男というものが本当にいやになっていたのだ。自分の体験や実感をこえて、世間一般の「男性性」にたいする嫌悪がみるみるふくらんで、それがあべちゃんという個人に逆輸入されるようなあんばいだった。

どの時期にも、ぜったいに回避しないといけないことはあるけれど、命にかかわらなければ、つねにぎりぎりの気持ちになる必要はないのだと。喉にものをつまらせないように、どこかから落ちたりしないように、目を離さない。これだけを必須のこととして、あとは正解はないのだから、ということで、精神的にマイルドにやっていかなければ、なにもかもが不幸になると思ったのだった。

しかし、これは逆からいえば、このようにわざわざ言葉にして思いこまなければならないほど、母親は、こうしたプレッシャーにつねに圧迫されているという事実でもある。

オニの時間、そしてあべちゃんにも、わたしにも、ひとりの時間ができ、みっつがあわさる時間ができ、それぞれを大事にする余裕みたいなのが感じられるようになり、ほんの少しだけれど、気持ちがらくになった。あのとき、保育園におねがいしてよかったと、心から思う。最初は離れるのがつらくて、ドアや柵のすきまからずうっとオニをみてたけど。初日は悲しくてそわそわしてなにも手につかなかったけど。なんでも考えすぎず、自分の偏った想像力を信用しすぎず、ときには流れにまかせて選択するということが、思いがけないけっかをくれることを、はじめて知ったような気がする。

写真はどんどんさかのぼり、はじめて沐浴したオニ、まだぼんやりしているオニ、まだ皮のめくれたあとがあちこちにくっついているオニ、そして妊娠中の、大きなおなかをしたわたし……こういうことを、おそらくは自分とおなじ気持ちでおなじ熱意とよろこびをもって思いだすことができてそれを共有してくれる人って、世界中であべちゃんひとりなのだな、と思うと、いま一緒にベッドにならんで座っていることが、ほんのり奇跡っぽく感じられもするのだった。わかりあえないこともあるけれど、でも、オニと過ごしてきた時間をわかりあえるのは世界中であべちゃん、たったひとりなのだ。あの日、あの時、あの場所で、このあべちゃんでなければ、このオニではなかったんだ……

朝。抱っこしたままでわたしの背中のほうにあるカーテンをあけて、空をみせてやる。

オニの顔がぱあっと明るくなって、笑顔になって、目がどこまでも大きくなって、つやつやと濡れて、光っている。じっとみつめると、小さな目に空が映っている。わたしはそれを1秒だって見逃すまいと、まばたきもせずみつめつづける。放っておくと、わたしの目からは涙がたれてくる。まだ言葉をもたないオニ、しゃべることができないオニは、まるでみたものと感じていることがそのままかたちになったみたいにして、わたしの目のまえに存在している。オニはそのまま、空であり、心地よさであり、空腹であり、ぐずぐずする気持であり、そして、よろこびだった。オニは、自分がこんなふうにして空をみていたこと、なにかを感じていたこと、泣いたこと、笑ったこと、おっぱいを飲んでいたこと、わたしに抱かれていたこと、あべちゃんに抱かれていたこと、こんな毎日があったこと、瞬間があったことを、なにひとつ覚えてはいないだろう。なんにも、思いだせないだろう。でも、それでぜんぜんかまわないと思った。なぜならば、この毎日を、時間を、瞬間を、オニが空をみつめてこのような顔をしていたことを、わたしがぜんぶ覚えているからだった。そしておなじように、かつて赤ん坊だったわたしも、おそらくはこのようにして空をみつめていたときがあったのだ。

ハイハイをして、つたい歩きをして、そして歩こうとしてしりもちをついて楽しそうに笑うオニをみていると、この1年にあったいろいろなことがとめどもなくおしよせる。生まれたばかりで、あんなに小さかったオニは、いまこうやって両手と両足をのばして、世界を少しずつ広げて、そしてからだはもっとしっかりとして、走りまわって、すぐに大きくなってしまうだろう。いろいろなことを忘れながら、新しいなにかに出会いつづけて、そしてすぐに、わたしのそばからいなくなってしまうだろう。オニがおなかにやってきて、そして生まれてから今日までのこの時間は、誰かが、なにかが、わたしにくれた、本当にかけがえのない宝物だった。おまえはおかあたんの赤ちゃん、おかあたんの赤ちゃん、と呼びかけながら、ぜんぶを抱きしめることができた日々。きみは赤ちゃんだねえといいながら、ころころと笑いあった日々。だいすきなオニ。わたしの赤ちゃんだった日々。両手にすっぽりくるむことができた、きみが、わたしの赤ちゃんだった日々。

オニがこっちをみている。小さな手をふっている。なにーといいながらオニのそばにいく。抱っこしようと手をのばすと、ウン、といいながらゆっくり立って、一生懸命、歩こうとしている。背をむけて、足を動かして、むこうに一歩を踏みだそうとしている。もう赤ちゃんじゃなくなった。もう赤ちゃんじゃなくなった、オニ。どうかゆっくり、おおきくなって。きみに会えて、とてもうれしい。生まれてきてくれて、ありがとう。

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